いつも熱血瓦屋社長日記!: 東日本大震災アーカイブ

東日本大震災 その13

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「どうしましょうか?」

送って下さった鈴木社長が訪ねた。

「後は、山形空港に行く手段は何がありますか?」

「バスとかでしょうか・・・。駅に行けば、バスが動いてるかもしれません。」

鈴木社長の言葉を信じて、

「じゃー、仙台駅にお願いします。」と、Uターンをしました。

 

鈴木社長の車のガソリンも減っていく。

走る車・・・。

車内には、5人も居るのに、ほとんど会話がない。

私も何か話さなければと思いながらも、

言葉が見つからないのだった・・・。

 

また、20分以上は走っただろうか?

向かっている方向が、明るくなってきた。

仙台駅付近に近づいた。

なんと!

仙台駅周辺は、電気がついていた。

その周辺だけ、地震と津波が起こったと思えないくらい、

ふつーの夜の光景だった・・・・。

 

「鈴木社長、ここで結構です。あとは、自分達でなんとかしていきます。」

何よりも、鈴木社長の自宅付近が、大変なことになっているのに、

いつまでも、私達につき合わせる訳にいかない。

鈴木社長と固い握手を交わした。

「無事に帰って下さい!」、「もちろんです。ありがとうございます。」

大きなエネルギーをもらった。

 

「降ろしてもらったはいいが、ここからどうしよう?」

って感じだ。

私は真っ先に、20くらいあるバスの発着所を走り回った。

山形行きを見つけるためだ。

「あった!」

山形駅行きを見つけた。 見つけたはいいが、かーーーなりの人!

200人くらいはいたような・・・。 

4人で話し合った結果、

「タクシーにしよう!」となった。。。

そこからみんなでタクシーを止めた。

なかなか止まってくれない。

止まったと思ったら、「山形までは、いけない。」と言う返事が多かった。

 

しかし、神様は私達を見捨てなかった。

タクシーを見つけて来てくれたのだ。

皆の荷物を積み込み、一路、山形空港を目指した。

仙台駅を離れると、

真っ暗闇に吸い込まれていった。

 

 

 

 

東日本大震災 その12

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多賀城市を出発した。

「どこへ向かいましょうか?」と、運転する鈴木社長が訪ねた。

電気も寸断され、ラジオ以外は全く情報が入ってこない私達は考えた。

「とにかく、どこかの空港に向かいたいので、その情報を得やすい

 所に行きたいです。仙台空港に行けば、どこかの空港にいく

 臨時バスなどが出ていないでしょうか。」

という話をした。

「仙台空港に向かいましょう。」

 

鈴木社長が、車のテレビのスイッチを入れた。

すごい映像が私達の目に飛び込んだ。

東北各地の被害や津波の映像。

どれも信じられない光景だった。

みんな言葉はなかった。

 

しばらくして、大きい通りに出てやっと気づいた。

「信号がないんだ!」

電気がないということは、信号も着いていないということだ。

しかし、どんな交差点でも合流地点でも、

車はちゃんと停車し、安全確認をしている。

譲り合って進んでいる。 事故をした形跡もない。

「信号がない方が、事故が少ないかもしれない。」と思った。

 

時々、道路に大きな段差がでている所があったり、

水が噴き出ている所があった。

しばらくして、津波が来たと思われる後を見た。

いろいろな物が散乱した光景だった。

それから間もなく日没を迎え、何も見えなくなっていった。

電気がないので、日没と同時に暗黒の世界に入った。

 

40分くらい走っただろうか?

空港らしき建物が見えてきた。

しかし、真っ暗だ。

「行けるのかな?行ってみよう。」

空港へ続く最後の直線道路に入っていった。

車やいろいろな物が散乱していた。

泥も多い。

すると、車の進行方向に、懐中電灯らしきものを振っている人が

立っていた。

近づくと、自衛隊の方達だった。

「この先には行けません。道路がありません。」

私達は、言葉を失った。

 

 

 

東日本大震災 その11

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食料を確保するために、長蛇の列に並んでいた。

実に、ながーーーーい列だった。

30分以上かけて、やっと自分たちの番がきた。

嬉しかった。。。

 

商品のかごの中身は、スナック菓子や缶詰、乾き物などなど、、、

「んー、もうちょっと、腹にたまるものはないだろうか?」

と思って見回していました。

 

すると!!!

魚肉ソーセージがあるではないか!!

しかも、5本が1束になっていた。。。

お一人様、5品づつ。しかも、同じものは、取らないで。。

となっていた。

5人いたので、1人1束づつ買うと、みんなの分はある。

と考えたので、みんな1束づつ買うと話し合った。

後は、スナック菓子と飲み物を買った。

これが、唯一、腹にたまる食料の魚肉ソーセージだ!

1110111.jpg

 

 買い出しをして、避難所の多賀城市文化センターに戻った。

避難してきている人の数は、もっと増えていた。

100km徒歩の旅関係者が集まり話し合いをすることになった。。。

 

話し合うこととは、

「このままここに泊まるか?」と言うことだった。

全員の意見は、「ここから離れよう。」だった・・・。

あまりにも人が多すぎて、座ることもできないのである。

「どこに行くか?」が問題だった。

取りあえず、今から帰る人、今夜はここに居る人で別れた。

関東勢の10数人は、ここを離れる判断をした。

乗ってきた車で、帰れるだけ帰るという手段だった。

中には、途中で、自転車を買って自力で帰る。 と言う人まで現れた。

 

いちばん遠い、九州、中国、関西勢は、ここで二日目の夜を

過ごすことを選んだ。

私達の行先が決まった。

塩釜青年会議所、歴代理事長の鈴木さんの所有マンションだった・・・。

幸いにも、二部屋が空いているとのこと。

みんなで、多賀城市の避難所を後にした。

鈴木さんのマンションは、意外と近かった。。。

1階が会社事務所になっているマンション。

1110113.jpg

ここが、鈴木工務店である。

 

部屋に着いたら、特にすることもないので、数人でブラブラすることにした。

歩いていると、公衆電話があった。10人くらいの人が並んでいた。

災害時は、公衆電話はタダなのである。

おまけに繋がりやすい・・・。

会社に電話してみた。 事務のみさきちゃんがでた。

「いろいろネットで調べたんですが、福島空港と山形空港が動いてます。」

とのことだった。。。

部屋へ戻った。

「私が、福島空港と山形空港は、動いているそうです。そっちへ、

 向かってもいいのではないですか?」

 

「よしっ、今から動く人!挙手!」

私ともう一人の鹿児島人、澤、そして、大分中津の池田君、上田君

が手を挙げた。

鈴木社長が残り少ないガソリンの車を出して下さった。

出発間際、鈴木社長夫人が、笑顔で、

「今度は、ゆっくりお越し下さい。」と別れの言葉を掛けて下さった。

 

「絶対にきます!」と言って、多賀城市を後にした。。。

辺りは、もう直ぐ日没を向かえる頃だった。。。 

 

 

 

11日

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私の誕生日、3月11日から7ヶ月過ぎました。

今日のニュースでは、「石巻市の避難所が全て閉鎖。」とありました。

あの日から、7ヶ月も経ったのですね。

正直に言うと、私は、大震災のことを忘れた日もありました。

でも、大震災の爪痕は、まだまだ深いです。

震災地の復興。 そして、原発のこれから・・・。

しばらくぶりですが、私の震災体験の続きを書いてよろしいでしょうか?

 

月に1回訪れる「11日」。

皆さんも、

何かを思い出し、

何かを思い直し、

何ができるか、

そして、どう生きて行くか!

考えていく日にしましょう。。。

 

 

心の傷

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受注工事の多さに参っている瓦屋社長です。

「単なる自慢?」と言われそうですが、凄い軒数なんです。。。

陶器瓦メーカーの品切れも重なって、工事に行きたくてもいけない物件も。

新築だけで、工事待ち、工事中合わせ、20軒くらいあります。

できるのでしょうか???

みんなで頑張っていこう!!

 

さてさて夕べのこと。

夜、垂水小学校PTA運営委員会が終わり家に帰り、

遅めの夕食を取りながらテレビをみていました。

NHKにすると、東日本大震災から半年・・・という番組をしていました。

被災地の陸前高田市で、NPOの方達の主催で、

この街をよみがえらせるためのまちづくりを、

みんなで考えよう。という取り組みをしていることでした。

 

陸前高田市と言えば、津波で大きな被害があり街も壊滅状態。

その街をこれから新しくつくっていく計画をみんなで考える。

という、プロジェクトでした。

そのメンバーの中には、様々な状況に置かれた人達がいました。

身近な人を亡くした人達も少なくありません。

 

高校生の男の子も取り上げられていました。

この子は、4人で暮らしていて、自分以外のお母さん、妹、お兄ちゃんを

津波で亡くしたそうです。

他にも、私と同年代くらいの男性が、妻と子供、父を亡くした方も

いらっしゃいました。

この様な方達のお気持ちを考えると、半年経ち、

少しは気持ちの整理もできたでしょうか。

家族を亡くし、絶望しかなかったと思います。

これからの事を考えると不安だらけだと思います。

生きていく力を亡くした状態だったでしょう。

しかし、番組で見る限り、いろいろな方々の助けがあり、

みんなで力を合わせ復興へ動いていらっしゃいました。

笑顔がありました。

私だったらどうだろうか・・・?

生きているだろうか? とも思いました。

自分の立ち上がり、街の復興。

心の傷は大きいと思います。

遠く離れた私達も他人事と思わず、これからの東北の復興を

応援して行きたいと思います。

何ができるかわかりませんが、その時その時できることをやる。

これが私達日本人の責任でしょう。

 

がんばろう日本。

 

 

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