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東日本大震災 その11

食料を確保するために、長蛇の列に並んでいた。

実に、ながーーーーい列だった。

30分以上かけて、やっと自分たちの番がきた。

嬉しかった。。。

 

商品のかごの中身は、スナック菓子や缶詰、乾き物などなど、、、

「んー、もうちょっと、腹にたまるものはないだろうか?」

と思って見回していました。

 

すると!!!

魚肉ソーセージがあるではないか!!

しかも、5本が1束になっていた。。。

お一人様、5品づつ。しかも、同じものは、取らないで。。

となっていた。

5人いたので、1人1束づつ買うと、みんなの分はある。

と考えたので、みんな1束づつ買うと話し合った。

後は、スナック菓子と飲み物を買った。

これが、唯一、腹にたまる食料の魚肉ソーセージだ!

1110111.jpg

 

 買い出しをして、避難所の多賀城市文化センターに戻った。

避難してきている人の数は、もっと増えていた。

100km徒歩の旅関係者が集まり話し合いをすることになった。。。

 

話し合うこととは、

「このままここに泊まるか?」と言うことだった。

全員の意見は、「ここから離れよう。」だった・・・。

あまりにも人が多すぎて、座ることもできないのである。

「どこに行くか?」が問題だった。

取りあえず、今から帰る人、今夜はここに居る人で別れた。

関東勢の10数人は、ここを離れる判断をした。

乗ってきた車で、帰れるだけ帰るという手段だった。

中には、途中で、自転車を買って自力で帰る。 と言う人まで現れた。

 

いちばん遠い、九州、中国、関西勢は、ここで二日目の夜を

過ごすことを選んだ。

私達の行先が決まった。

塩釜青年会議所、歴代理事長の鈴木さんの所有マンションだった・・・。

幸いにも、二部屋が空いているとのこと。

みんなで、多賀城市の避難所を後にした。

鈴木さんのマンションは、意外と近かった。。。

1階が会社事務所になっているマンション。

1110113.jpg

ここが、鈴木工務店である。

 

部屋に着いたら、特にすることもないので、数人でブラブラすることにした。

歩いていると、公衆電話があった。10人くらいの人が並んでいた。

災害時は、公衆電話はタダなのである。

おまけに繋がりやすい・・・。

会社に電話してみた。 事務のみさきちゃんがでた。

「いろいろネットで調べたんですが、福島空港と山形空港が動いてます。」

とのことだった。。。

部屋へ戻った。

「私が、福島空港と山形空港は、動いているそうです。そっちへ、

 向かってもいいのではないですか?」

 

「よしっ、今から動く人!挙手!」

私ともう一人の鹿児島人、澤、そして、大分中津の池田君、上田君

が手を挙げた。

鈴木社長が残り少ないガソリンの車を出して下さった。

出発間際、鈴木社長夫人が、笑顔で、

「今度は、ゆっくりお越し下さい。」と別れの言葉を掛けて下さった。

 

「絶対にきます!」と言って、多賀城市を後にした。。。

辺りは、もう直ぐ日没を向かえる頃だった。。。 

 

 

 

 

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