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東日本大震災 その12

多賀城市を出発した。

「どこへ向かいましょうか?」と、運転する鈴木社長が訪ねた。

電気も寸断され、ラジオ以外は全く情報が入ってこない私達は考えた。

「とにかく、どこかの空港に向かいたいので、その情報を得やすい

 所に行きたいです。仙台空港に行けば、どこかの空港にいく

 臨時バスなどが出ていないでしょうか。」

という話をした。

「仙台空港に向かいましょう。」

 

鈴木社長が、車のテレビのスイッチを入れた。

すごい映像が私達の目に飛び込んだ。

東北各地の被害や津波の映像。

どれも信じられない光景だった。

みんな言葉はなかった。

 

しばらくして、大きい通りに出てやっと気づいた。

「信号がないんだ!」

電気がないということは、信号も着いていないということだ。

しかし、どんな交差点でも合流地点でも、

車はちゃんと停車し、安全確認をしている。

譲り合って進んでいる。 事故をした形跡もない。

「信号がない方が、事故が少ないかもしれない。」と思った。

 

時々、道路に大きな段差がでている所があったり、

水が噴き出ている所があった。

しばらくして、津波が来たと思われる後を見た。

いろいろな物が散乱した光景だった。

それから間もなく日没を迎え、何も見えなくなっていった。

電気がないので、日没と同時に暗黒の世界に入った。

 

40分くらい走っただろうか?

空港らしき建物が見えてきた。

しかし、真っ暗だ。

「行けるのかな?行ってみよう。」

空港へ続く最後の直線道路に入っていった。

車やいろいろな物が散乱していた。

泥も多い。

すると、車の進行方向に、懐中電灯らしきものを振っている人が

立っていた。

近づくと、自衛隊の方達だった。

「この先には行けません。道路がありません。」

私達は、言葉を失った。

 

 

 

 

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