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2011年3月11日 その2

ホテルグランドパレス塩釜での研修も進み、

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地元、宮城県大崎市の「おおさき100km徒歩の旅」門脇団長進行の中、

3名のパネラーの方も登壇して、100キロの心髄について、

ディスカッションしていた時のことでした。

 

「ガタガタガタガタ、、、」

小さな揺れが始まりました。

地元の門脇団長が、「最近ずっと、このような余震が続いています。

でも、すぐおさまりますから心配しないで下さい。」

とアナウンスして下さいました。

「そう言えば、数日前に大きな地震があったなー。」

と頭に浮かびました。

 

「ガタガタ」と小さな揺れはなかなか終わりません。

どうしたらいいかわからない会場のメンバーは、

ただ、突っ立っている状態でした。

1分くらい経った頃、

「どーーーん!!!」と大きな音が聞こえた気がしました。

と同時に、激しい横揺れに変わりました。

 

大の男たちの「おおおおぉぉぉぉぉーー!」という叫び声。

私も初めての大きな揺れに、かなり動揺しました。

まったく立っていられません。揺れは続きます。

でも、どうしたらいいかわかりません。。。

大きな横揺れは、全然おさまりません。

逆に、どんどんひどくなっている気がしました。

会場内は、40人くらいの男たちがあたふたしています。

 

少しして誰かが、「ドアを開けろー!!」と叫びました。

すると、その叫びと同時に沢山の人が外へ飛び出しました。

今度は、「外にでるなー!」とまた大声が響きます。

会場は、大パニックになりました。

私はどうすることもできず、その場に這いつくばっていました。

激しい横揺れは続き、天井のシャンデリアは大きく揺れ、

建物がきしむ、聞いたこともない音が響きます。

 

この時、ニュージーランドの地震を思い出し、

この建物も崩れるのではないか! と思いました。

どんどん横揺れは激しくなります。

私たちが居た会場は、3階の大きなホールだったので、

部屋に置き物は全くなかったでした。

なので、倒れたりする物もなく、ただ、大きな揺れだけを

体で感じているだけでした。

 

何分も揺れは続きます。

私は、鹿児島から一緒に行った後輩の澤の近くにいました。

「どー、すればよかとよ!」と、澤に声を掛けます。

どうすることもできず、ただ、笑うしかありません。

「うそやろ!!!」って。。

 

3分ぐらい経ったでしょうか・・・。

ずーーーっと、、、床に這いつくばっていました。。。

やっと、今まで体験したことのない激しい揺れが止みました。

私は、会場から出ることもできず、床に座りこんでいました。

会場の皆が、「すごかったねー!」とざわついていると、

数分も経たないうちに、ホテルのスタッフが大声で駆け込んできました!

 

「津波がきます!! 直ぐに、裏の高台へ避難してください!!」

顔は真剣で、かなり焦っているように見えました。

誰もが、「冗談でもなく、真剣なんだ!」

と言うことを感じた瞬間だった。

「早く!! 指示に従って避難してください!!」

大きな声がホールに響き渡ります。

 

今思えば、ホテルのスタッフのこの誘導がなければ、

地震の怖さを知らない私たちは、

「何慌ててんの? もう揺れは終わったがね。。。」

と、一難過ぎた安堵感で、動こうともしなかっただろう。

すぐに言われるがまま、ホテル裏の高台にある

津波避難所の稲荷神社に上がっていった・・・。

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