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東日本大震災 その5

津波避難所からホテルに戻った。

外はまだ明るい夕方5時半くらいだったのに、

ホテルの中は、真っ暗だった。

 

すぐにホテルのスタッフが、沢山のろうそくをもって来て、

大広間、階段、トイレ、廊下・・・。 火を灯し、あちこちに置きはじめてくれた。

この時、生まれて初めて、明かりの大事さを知った気がした。

 

小さな灯りがあるだけで、心が落ち着く。

一人じゃないとわかっただけで、不安がなくなっていく。

kurayami.jpg

 

この大ホールには、何人くらいの人達がいたのだろうか・・・?

300人くらいだったか。。。

私達の100キロ徒歩協議会の関係者は、30人くらいになっていた。

何故なら、地元の人達は、地震直後に帰ったのだという。。。

津波に巻き込まれていないだろうか?

全員無事だろうか? いろいろな事を考えた。

自分が生きているのも奇跡かな?と感じた。

 

その時、「そう言えば、俺って今日が誕生日じゃん!」と思い出した。

今日の研修が始まる時、スタッフに、

「今日、私、誕生日なんですよー。」、 すると、

「おめでとう!今夜は、牛タンでお祝いだ!」なんて言っていたのに・・・。

 

「今夜は、何も食べられそうにないなー。」

 

ホテルのスタッフがホールの中央に、ありったけの水やジュースを

セッティングして下さった。

これもまたツイていたんだろう。

普通は、水なんて飲めやしない。。。 

ずっとのどの渇きと空腹と戦っていなければならないはず・・・、

ホテルだったことが幸いだった。 

沢山の飲み物が、ストックしてあったから。

 

この間も余震が何回もありました。

揺れる度に、「今度はどれくらいの大きさだろう?」と

逃げる準備だけはいつもしていた。

私達仲間で固まって話をしていたが、みんなどんどん口数は減っていく。

 

これからどうするか?

など話したが、なんせ情報が全くないのである。

鉄道は動いているのか?

飛行機は飛んでいるのか?

バスは走っているのか?

どれくらいの被害なのか?

 

携帯でテレビを見ている人や、ラジオを聴いている人達もいたが、

今、私たちが必要としている、この塩釜の状況が

全くわからないのである。 もどかしいかぎりである。

結局、なんの答えも出ないまま、時間がゆっくりと過ぎていくだけだった。

梶原会長がひとこと。

「しょうがない。寝るしかない。」

 

もう21時くらいの気がしていたが、

時計を見ると、まだ19時。

小学生でもこんなに早くは寝らんやろう。。。

ってな時間に就寝となりました。

別の大ホールが人が少なかったので、そちらに移動し、

みんな好きな場所に、自分の寝床をこしらえた。

誰かが、昼に机を片づけた時にまとめておいた、

テーブルクロスを持ってきた。

ホテルには悪いが、寒さをしのぐにはバッチリだったのだ。

 

こうして、余震が続く中、

不安な被災生活1回目の夜が深まっていった。

「それにしても、寒いなー。。。」

 

 

 

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