川畑瓦工業

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▶︎ 東日本大震災 その10

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季節は真夏。 お盆休みが待ち遠しい瓦屋社長です。 昨日のテレビやラジオで、「大震災から5ヶ月が経ちました。」 と言っていました。 「あの日から、5ヶ月も経ったんだ。。。」 私も毎日時間に追われ、今では、何事もなかった生活をしている。 被災地の人達は、長い5ヶ月だったに違いない。 そう考えると、「私達だけ・・・、申し訳ない。」という気持ちになってくる。。。       雪が降っていた昨日とは違い、晴天で少し暖かい。 皆と一緒に、多賀城市の避…

▶︎ 時間

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今日も雨ですね。 まだ梅雨のようです。 早く梅雨明け宣言をし過ぎたのではないかと思っている瓦屋社長です。   時間というのは便利である。 自分の使い方によっては、自分に便利なように使うことがでる。 時間があれば、あれもこれも何でもできる。 でも、 時間が経てば、あれもこれもあったことを忘れてしまう。   時間が経ったことで、私の記憶からも、 東日本大震災の記憶も薄れていってしまっている。 時間が経っても、 忘れていけないことは、しっかり伝えていかなけ…

▶︎ 東日本大震災 その9

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「じゃ、15分後にホテル裏の駐車場に集合。」   そして、みんな自分の荷物を取りに行った。 私も一夜を過ごした大広間へ向かった。 カバンの中身をチェックして、ファスナーを閉めようとした時、 「そうだ!このテーブルクロスだけは借りて行こう!」と、 寝る時に借りたテーブルクロスをカバンにいれた。 もし今夜もその辺に寝るとなった時に、寒くないようにである。 盗んだのではない。借りたのだ。 念のため・・・。   駐車場へ移動した。 ほとんどの人が集まってきた。…

▶︎ 東日本大震災 その8

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私達が居た「ホテルグランドパレス塩釜」は、 海から700mくらいの所にあった。 本塩釜駅からも100mくらいで、人通りが多いところだった。。。 車も沢山往来していて、近くには、ホームセンターやマックスバリューもあった。      数名で海に向かって歩いて行った。 マリンセンターがあるのは知っていた。まさか無くなっていないよな。。。 港が見えてきた。 凄いことになっていた。    大きな船が、堤防を越えて道路に打ち上げられているではないか! 津波の破壊力に驚きな…

▶︎ 東日本大震災 その7

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  大広間に戻り暗闇の中で横になっていると、 ホテルのスタッフの方が、 「食べ物の準備できました。配りますのでお並び下さい。」 行ってみると、なんと、 炊き込みご飯とケーキを配って下さった。 コーヒーまで準備があり、 夕べ何も食べていないので、とってもありがたかった。   おそらくこの食事は、ホテルの夕べの食事として出す予定だったに違いない。 それを、被災して家に戻れない人や、私たちのようにこのホテルで、 懇親会をするはずだった人達全員に出して下さった…

▶︎ 東日本大震災 その6

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「津波は本当にきたらしい。」 でも外の状況や広い範囲での状況もわからぬまま 夜を迎えてしまった。。。 それぞれの寝床に入ったが、止まない余震にビクビクしながら、 「どうすればいいのか? いつ帰れるのか?」 いろいろな事が頭に浮かんでくる。   暖房もないホテルの大広間は、冷え込みが厳しくなってきた。 「かなり冷えるなー。」と思っていたその時、 今朝、家を出る時のことを思い出した。 「あっちは、寒いから持って行けばー。」と明子が言った。 「どうせ会場内は、暖房があ…

▶︎ 塩釜の津波映像

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もう少ししたら、会社に行こうかと思っている瓦屋社長です。 やり残した見積りを思い出しました。 今朝提出でした。思い出してよかったです。   さて、 塩釜に一緒に行って被災した後輩の澤から、 「You Tube で、塩釜の津波映像がありますよ。」 と、聞いたので見てみた。   「塩釜 津波」で、沢山の映像が出てきた。 すごい、、、。 こんな所に居たなんて信じられない・・・。 http://www.youtube.com/watch?v=ZuAhx_ZY…

▶︎ 東日本大震災 その5

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津波避難所からホテルに戻った。 外はまだ明るい夕方5時半くらいだったのに、 ホテルの中は、真っ暗だった。   すぐにホテルのスタッフが、沢山のろうそくをもって来て、 大広間、階段、トイレ、廊下・・・。 火を灯し、あちこちに置きはじめてくれた。 この時、生まれて初めて、明かりの大事さを知った気がした。   小さな灯りがあるだけで、心が落ち着く。 一人じゃないとわかっただけで、不安がなくなっていく。   この大ホールには、何人くらいの人達がい…

▶︎ 東日本大震災 その4

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みんな言葉がでない。 目の前の津波は、嘘だと思いたかった。   3時間前に歩いていた塩釜駅のロータリーが、 無残にも濁流に飲み込まれていた。  線路と駅は地上5メートルくらいの所にあったので、 直接津波はかぶっていない。 しかし、1階にあった観光案内所や、私が昼食を買った売店、 そこに居た人達はどうなったんだろう。。   ちゃんと避難したのだろうか・・・? いろいろな不安がよぎります。  避難している人たちは、 どうすることも、…

▶︎ 東日本大震災 その3

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塩釜市の町中に、けたたましいサイレンの音が鳴り響く。 止まらず流れる市の防災放送。 「大津波警報が発令されました。高台へ避難して下さい。」 町中大混乱。   とにかく、みんな高台へ避難してきます。 その時ハッと考えたことがあった。 「そうだ!明子に電話しておこう。」 何度もリダイヤルします。 しかし、なかなか繋がりません。 その時、私の携帯が鳴りました。 画面を見ると、「宮田健二」の文字、慌てて取りました。 「大丈夫か!?」 彼は、東北で大地震があったことを知…

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